遅きに失した

 遅きに失したとは、まさにこのことだ。加計(かけ)学園の獣医学部新設をめぐる「総理のご意向」文書などについて、松野文部科学相が再調査を表明した。

 朝日新聞がその存在を報じてから3週間余。この間、政権の対応は、国民を愚弄(ぐろう)するもの以外の何物でもなかった。

 菅官房長官は「怪文書」と切り捨て、文科省は短期間の調査で「存在を確認できなかった」と幕引きを図った。前川喜平前次官らが文書は省内で共有されていたなどと証言し、それを裏づけるメールのコピーを国会で突きつけられても「出所不明」と逃げの姿勢に終始した。

 突然対応を変えたのは、強まる世の中の批判に、さすがに耐えきれないと判断したのか。

 あきれるのは、文科相が「安倍首相から『徹底した調査を速やかに実施するよう』指示があった」と説明したことだ。

 怪文書呼ばわりしたうえ、前川氏に対する人格攻撃を執拗(しつよう)に続け、官僚がものを言えない空気をつくってきたのは首相官邸ではないか。反発が収まらないとみるや、官房長官は「再調査しないのは文科省の判断」と責任転嫁も図った。

 こんなありさまだから、再調査に対しても「情報を漏らした職員を特定する意図があるのでは」と疑う声が出ている。

 また「徹底した調査」と言いながら、文科省に「ご意向」を伝えたとされる、国家戦略特区担当の内閣府の調査は不要だというのは納得できない。

 特区は首相肝いりの政策であり、国民が知りたいのは、そこに首相の個人的な思いや人間関係が入り込んだか否かにある。行政が公正・公平に行われたことを説明する責任は政権全体にあり、内閣府についても調査を尽くすのは当然である。

 再調査では、前川氏をふくむ関係者に協力を依頼するのはもちろん、以下のような取り組みが求められる。

 まず、信頼性を担保するために外部識者を調査に加えることだ。このような場合、第三者にすべて委ねるのが筋だ。それが難しいとしても「外の目」の存在は必須だ。文科相は消極的だが、世間では常識である。

 次に、調査を最大限急ぐことだ。拙速はよくない。しかし、国会は会期末が迫る。再調査を口実に、ずるずる日を過ごすようなまねは許されない。

 そして調査結果がまとまったら、首相らも出席して報告と検証の国会審議を行うことが不可欠だ。そのための会期延長も検討されてしかるべきだ。

 政権の姿勢が問われている。