酒井弁護士は籠池氏に電話で何を話したのか?

 削除、書き換え、計300箇所以上――。

 財務省が12日に公開した『決裁文書の書き換えの状況』(参照:NHK「森友学園決裁文書全文書掲載」)であきらかになった「決裁書改竄」の実態は、あまりにも衝撃的だ。

 平沼赳夫、鴻池祥肇、北川イッセイ、そして、安倍昭恵と、政治家・公人の名前はことごとく消されている上に、安倍昭恵が年に2度も塚本幼稚園を訪問し森友学園との関係が濃密であった平成26年の「経緯」は綺麗さっぱり削りとられている。さらには「特殊性」など、国有地取引の異例さを示唆する文言はすべて削除する念の入れよう。財務省はあくまでも「書き換え」だと主張するが、ここまで故意性、恣意性、そして徹底性がある以上、「改竄」あるいは「捏造」と表現するのが妥当だ。そこまでして財務省は何かを隠蔽するために、これほどの犯罪に手を染めたのだ。

 ここまで大規模な書類改竄や事実の隠蔽作業を、官僚の一存でやったとは到底考え難い。だが政権はあくまでも、「佐川前理財局長が自分で判断して改竄を指示した」とのストーリーを展開しようとしている。

〇ボロだらけだが「佐川主犯説」で押し通そうとする安倍政権

 しかし、この政権側のストーリーは土台、無理がある。政権の主張を信じるならば、「佐川は国会発言の後に、自分の国会発言と書類の内容に齟齬があることに気づいた」ということにならざるを得ない。あくまでも、閣僚答弁と決裁文書内容との齟齬ではなく、佐川発言と決裁文書内容にのみ齟齬があったのだとしたいのなら、そう解釈するしかない。だとすると同時にこれは、これまで安倍晋三、麻生太郎が「佐川の国税庁長官任命は、適材適所」と繰り返し答弁してきた内容と矛盾することになる。「佐川は、国会発言の後に、書類との齟齬に気づいた」と主張することは、「佐川は、書類に基づいた発言さえできぬ無能である」と言っているに等しい。そのような無能を国税庁長官に任命することは「適材適所」とは言えまい。

 このように、政権の展開する様々な「ストーリー」を覆していくことは、もはや赤子の手をひねるより容易い。鉄壁と思われた官邸のガードも、いまや基本的なダメージコントロールさえ不能の状態。おそらくそれを一番理解しているのは、当の財務省だろう。3月16日の参院予算委員会で、共産党・辰巳孝太郎議員への答弁に立った太田理財局長は「答弁を主にしていたのは(当時の)理財局長だが、首相や大臣(麻生太郎副総理兼財務相)も答弁がある。政府全体の答弁は気にしていた」と、半ば、首相答弁の影響を認めた。もう財務省は白旗を上げているのだ。

 しかし現時点では、いまだ政権は「佐川主犯説」を捨てていない。全てを佐川の責任として、この難局を切り抜けようとしている。

 では、政権の主張する「佐川の答弁と決裁文書の内容に齟齬が生じたので、書類改竄に手を染めた」という「佐川主犯説」の内容を再度検討してみよう。

「決裁文書の内容との齟齬」を生じた佐川の答弁の初出は「面会等の記録につきましては、財務省の行政文書管理規則に基づきまして保存期間1年未満とされておりまして、具体的な廃棄時期につきましては、事案の終了ということで取り扱いをさせていただいております」という2017年2月24日の衆院予算委員会答弁だ。

 そして同日午後の記者会見で菅官房長官も「面会等の記録については、保存期間が1年未満とされているということで、具体的な廃棄をする、その時期については、説明したとおりだったという風に思っています」と発言している。

 かくてこの日、「面会記録は廃棄し残っていない」が政府の共通見解となった。政権の主張する「佐川主犯説」を信ずるならば、決裁文書改竄は、この見解に歩調を合わせるために行われた――つまり、財務省が改竄に手を染めはじめたのは、物理的には2月24日以降でしかありえないと政権は言っているわけだ。これは同時に、政権が「改竄の必要性が生じたのは2月24日のことだから、2月17日の安倍首相による『総理も議員も辞める』答弁と改竄は無関係である」と主張しているということでもある。

 なるほど、よく練られたストーリーではある。確かに説得力もある。この筋でおしとおせば、安倍晋三を庇うこともできるだろう。

 だが、このストーリーには大きな見落としがある。

 おそらくこのストーリーを練り上げた人物は、国会答弁や官房長官記者会見など東京で起こった出来事しか見ていなかったのだろう。森友事件の現場・大阪で2017年2月24日前後、何が起こっていたのかが完全に見落とされている。あのころ、森友事件の現場を歩きつづけていた、日本全国の優秀なテレビマン・新聞記者・雑誌記者、フリーの記者が大阪で何を見ていたのか、そして今もって何を覚えているのかがこのストーリーからは完全に欠落している。

〇現場をずっと追っていたなら知っていた籠池理事長の「失踪」

 朝日新聞が森友問題の第一報を出したのは2017年2月9日のこと。その直後から、日本中のメディアが森友学園周辺に集まり出した。学園と安倍昭恵の関係、幼稚園で行われていた異様な教育実態、ますます謎めく土地取引の疑惑、そして何よりも籠池理事長夫妻の特異なキャラクターなどなど、「メディア向け」の素材が次から次へと噴出し、一時期、森友学園本拠地である塚本幼稚園周辺はメディアスクラムが常態化し、近隣住民と報道陣の間でトラブルが発生するような有様だった。

 記者たちが狙っていたものは、たった一つ。籠池泰典氏のインタビューだ。朝日新聞の第一報があった2月9日からの数日間、籠池氏は「予定が合えば、どのメディアの取材も受ける」とのスタンスだった。例えば朝日第一報の4日後の2月13日には、朝日放送と毎日放送を始めとする複数のTV局のインタビューに応じている。今も記録が残っている籠池氏と籠池氏の代理人を当時務めていた酒井康生弁護士の二人組のインタビュー映像などが撮影されたのはこの頃のこと。森友学園が購入した国有地の隣接国有地を豊中市が高額で買い取っている件に関し、酒井弁護士が「豊中市がそんなに高い値段で買ったこと自体がチョンボだと思う」と発言した「チョンボ」発言等を覚えておられる方も多かろう。

 しかし突如、籠池氏はメディアの前から姿を消す。自宅を訪問しても不在。幼稚園にも出勤している様子はない。「籠池が消えた」との情報で現地の報道陣は色めきだった。籠池氏の「素材としての価値」は再度急上昇し、各社が血眼になって親族周辺を取材しだした。しかし探せども探せども、籠池氏の姿は見当たらない。数週間して豊中市の自宅に戻っている姿が確認されたが、それまでの方針とうって変わって、籠池氏は貝のように口を閉ざし、一切メディアにむけて発言することはなくなった。

 その後、籠池氏の表立ったメディア露出は、「私学設置認可を自ら取り下げる」と公表した3月10日の記者会見まで待たねばならない。証人喚問以降に発揮された籠池氏の饒舌ぶりでもう忘れられてしまったが、2017年2月中旬のある時点から3月10日まで、籠池氏が徹底的にメディアを避けていたことは、あの頃、森友事件の取材を重ねていた者ならば誰しもいまだに鮮明に記憶するまぎれもない事実だ。

 2017年3月15日。籠池氏は外国人記者クラブでの会見をキャンセルし、東京港区内にある私の事務所に突如来訪する。「籠池氏が来た」との事務所からの報告が届いた時、私は大阪で取材中だった。すぐさまその場で取材を中断し、東京行きの飛行機に飛び乗った。羽田から事務所へ普段は使わぬタクシーで移動。とにかく急いでいたのだ。

 事務所周辺に蝟集する報道陣をかき分けて事務所玄関をあけると、籠池氏が座っている。応対しているのは私のスタッフと、スタッフ一人では荷が重かろうと「事務所に籠池氏がいるから対応してくれ」と私が移動中に電話で依頼し急遽事務所に駆けつけてくれた、扶桑社の担当編集者の二人だけ。みな黙りこくっている。部屋の中は水を打ったように静かだ。メディアスクラムの喧騒をかき分けて這々の体で部屋に戻った私には、外の喧騒と中の静寂の極端な対比が異様なものに思えた。

 私の姿を認めた籠池氏は「話を聞いてもらいたい」と言い出した。だが外のメディアをなんとかしてほしいという。「あれやと、ゆっくりしゃべることもできへん」と。このもっともな申し出にこたえるために行ったのが、私が応じたあの囲みの取材だ。

 あの囲みの中で私は、「籠池氏は、『財務省の佐川理財局長にいわれて、10日間ほど姿を隠していた』と言っている」とメディアの質問に答えている。囲み取材のまえに籠池氏からもらっていた証言をそのまま紹介したわけだが、この発言に強く反発した人物がいる。当時の籠池氏の代理人・酒井康生弁護士だ。

〇酒井弁護士は籠池氏に電話で何を話したのか?

 同日夜、酒井康生弁護士は、報道各社に対して「本日、菅野氏の報道各社に対する発言において、籠池理事長夫妻から聞いた話として、『財務省の佐川理財局長から「しばらく身を隠してはどうか」ということを代理人弁護士を通じて言われた』という趣旨の話があったようですが、事実誤認でありますのでその旨お伝えいたします。佐川理財局長とは面識もありませんし、話をしたこともありません。また、財務省の他の方からもそのようなことを言われたこともありません」とのファックスを送達し、「佐川理財局長からの指示で身を隠していた」との籠池証言を否定してみせた。

 そしてこのファックス声明文の中で酒井弁護士は、「本日(2017年3月15日)午後4時30分に(代理人辞任)の了承を得ました」と、籠池代理人辞任したことを報道各社に伝えている。

 酒井弁護士が迂闊だったのは、酒井氏の言う「2017年3月15日午後4時30分」、籠池氏の隣に、私と私のスタッフと扶桑社の担当編集が座っていたことを想起しえなかったことだろう。

 我々は「2017年3月15日午後4時30分」に酒井弁護士から籠池氏にかかってきた電話の内容をつぶさに聞いている。酒井弁護士が電話で「佐川理財局長本人からの指示じゃないって言ったでしょ。佐川さんの部下のシマダさんからの指示だと言ったでしょ」と発言したのをしっかりと聞いている。繰り返すが、その発言を聞いたのは私だけではない。私のスタッフ、扶桑社編集部員も同時に聞いている。

 2017年当時、財務省理財局国有財産企画課に嶋田課長補佐が在籍していたことは、財務省職員録からも確認できる事実だ。

 酒井弁護士がメディアに送達したファックスの内容は、あきらかに架電内容と相違する。しかもあたかも依頼人の方が嘘をついているかのように主張する文面をメディア各社に送達するなど、酒井弁護士のやり様は、弁護士にあるまじき不誠実さというしかないだろう。さらにはテレビ中継を見ていたならば「籠池氏は菅野の事務所の中にいる」ことは誰でも理解できるはずなのに、隣に菅野とその関係者が居合わせることを想起せず大声で電話で話すなど、迂闊という他ない。酒井弁護士はなにをそんなに焦っていたのか。

 ともあれ、メディア向けに公表したファックスの内容ではなく、籠池氏に対して内々に酒井弁護士が架電で伝えた内容にもとづいて考えれば、理財局は、国有財産企画課の嶋田賢和課長補佐の口から、籠池氏の代理人であった酒井弁護士に「籠池を隠せ」と命じたことになる。

 理財局は籠池氏を隠したかった。ここまでは明らかだ。しかし、なぜ隠したかったのか? いつから隠そうと思ったのか? 疑問が残る。

 酒井弁護士は目下、メディアからの取材アプローチをすべて断っている。近づいてきた取材者に「告訴も辞さない」と言い放つこともあるという。また、上記のように話をしても嘘をつく弁護士だ。話を聞いてもまともな答えは返ってくるまい。となるともっとも確かなソースは、籠池氏本人だということになる。しかしなにせ本人の身柄は大阪拘置所の中。しかも接見禁止処分がついており話を聞くことができない。

〇籠池氏が「身を隠した」日の直前に国会で何が起きたのか

 1年前のあのころ。籠池氏の周りには多数の支援者がいた。その一部はいまも籠池氏を支援し続けている。そうした人々に今回あらためて取材してみると、籠池氏が身を隠した瞬間が特定できた。

「籠池さんは、荻上チキ氏のラジオ番組への出演後、夜中なのに夫婦つれだって旅立った」

 複数の支援者がそう証言する。

 TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」に籠池氏が出演したのは、2017年2月20日のこと。この番組は22時スタートの生放送。籠池氏の出演は23時過ぎに終わっている。証言だけではなく、翌21日に潜伏先のアパホテルから籠池夫人が送った「ホテルの部屋が狭くて汚い変えてほしい」と訴えるメールが支援者の携帯電話に今も残っている。「20日深夜に旅立った」という証言を裏付ける物証といえよう。

 これで間違いがない。籠池夫妻が、財務省の指示で姿を消したのは、2017年2月20日深夜だ。

 先述のように、政権のストーリーは、書類改竄のきっかけは2月24日の佐川答弁だというものだ。あの答弁と決裁文書内容に齟齬が生じたために始まったという隠蔽工作は、24日以降からスタートしたと政権は主張する。しかし事実は違う。24日スタート説が成立するのは、「東京で発生した出来事だけ」でストーリーを組み立てた場合にのみ限られる。

 大阪ではすでに、財務省理財局による隠蔽工作が2017年2月20日からスタートしているではないか。佐川が「面会記録の廃棄」を答弁する24日以前に、すでに大阪では「籠池を隠す」という形の、「事実の隠蔽作業」がスタートしているではないか。

 なぜ財務省は、20日の段階で籠池氏に身を隠せと言ったのか?
 20日以前の政府答弁に何があったのか?

 2017年2月20日は月曜日。

 前日19日は日曜日。前々日18日は土曜日。当然国会は休みだ。

 2017年2月20日月曜日の直前国会は、2017年2月17日金曜日ということになる。

 2017年2月17日金曜日。
 この日、安倍晋三は、衆院予算委員会で、

「私や妻がこの認可あるいは国有地払い下げに、もちろん事務所も含めて、一切かかわっていないということは明確にさせていただきたいと思います。もしかかわっていたのであれば、これはもう私は総理大臣も議員もやめるということでありますから、それははっきりと申し上げたい、このように思います。」

 と、答弁している……。

<取材・文/菅野完>