数学 物理 進化論

6. ウィグナーの論説と進化論
ウィグナーの講演論文 “The Unreasonable Effectiveness of Mathematics
in the Natural Sciences” は書籍5) で見られると私は本稿に書いたが,本稿
を掲載した『数理科学』誌が出版された後,中西
のぼる
襄 氏から,1960 年の学術誌
Communications on Pure and Applied Mathematics6) に原論文が掲載され
ており中西氏による翻訳が 1961 年に『科学』誌に掲載されていることを教え
ていただいた.なお,中西襄氏による訳文の題名は「自然科学における数学の
有効性について」となっており,Unreasonable にあたる訳語が見当たらない
が,これは出版社編集部の判断でそうなったそうである.
改めてウィグナーの原論文と中西襄氏による翻訳を読んで思うことを述べる.
ウィグナーは,論説中の「数学とは何か(What is Mathematics?)」という節
で「Darwin の自然淘汰の過程によって,われわれの推理力が,その持つと思
われる極致にまで到達したとはとうてい信じ難い.(it is hard to believe that
our reasoning power was brought, by Darwin’s process of natural selection,
to the perfection which it seems to possess.)」と述べている.つまり,生物
学的な進化によって人類の数理的推論能力がもたらされたとは信じられないと
ウィグナーは論じている.
一方,私は,生物学者ドーキンス7) や歴史学者ハラリ8),哲学者戸田山の論9)
に便乗して,脳の情報処理・記憶・指令・発話・解釈・想像という能力も進化
の産物であり,そういう能力がこの世界での人類の生存と繁栄に有利に働いた
と本稿で論じた.また,我々のアイデアや文化や嗜好様式はミームという抽象
的な遺伝子・自己複製子だと考えられるというドーキンスの説を借りて,数学
や物理学もミーム群だと私は論じ10),自然科学がうまくいっているのは,それ
がこの世界に適応しているからであると私は主張した.つまり,ミームの段階
も含めた生物学的な進化によって人類の数理的能力がもたらされたと私は考え
ている.
ウィグナーも私もダーウィン流の自然淘汰説を知りながら,正反対の結論に
達しているのは興味深い不一致である.この点に関してウィグナーが間違って
いて私だけが正しいとは,私は思わない.人類の数理的能力が生物学的進化の
産物であることが,科学的に,疑いの余地なく証明されたわけではない.ただ,
現代では,人類は他の生物と共通の祖先・共通の体のしくみを持つ生物種だと
いう認識は普及しているし,分子生物学や集団遺伝学の発展によりミクロとマ
クロの両スケールでの発生と進化の基礎の理解が進んできている.また,人類
以外の動物もいろいろな意味での知性を持っていることが知られるようになっ
た.さらに,ミームという新種の増殖単位も認められるようになった.私はこ
れらの学問的進展の影響を受けて,生物学的な進化によって人類は数理的能力
を授けられたと考えることに抵抗がなくなっているし,それ以外に考えようが
ないという気になっているのである.
念のために言うが,生物進化論の安易な拡大解釈は危険である.数学や物理
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学は自然淘汰の産物だという説は,仮説にすぎず,慎重な検証を要する.
7. 数学・物理学の成功は奇跡か?
もう少しウィグナーの論説6) を検討したい.全体的にウィグナーの論説は,数
学や物理学が自然現象を説明するという面でかくも成功しているのはまことに
不思議だという論調で占められている.ウィグナーは,これらの成功を神秘と
捉えているというよりは,なぜこの世界はこのように都合よくできているのか
はわからないが好都合は謙虚に感謝すべきことだと捉えている.
論説6) 中の「物理学の理論における数学の役割(The Role of Mathematics
in Physical Theories)」と題する節でウィグナーは「自然法則の定式化にあたっ
て,物理学がある数学的概念を選ぶことは本当だし,数学的概念のうちわずか
のものが物理学に用いられているにすぎないことも確かである.(It is true, of
course, that physics chooses certain mathematical concepts for the formulation of the laws of nature, and surely only a fraction of all mathematical
concepts is used in physics.)」と述べている.
私は本稿で「数学の一部分が自然界の規則性の記述にちょうどうまく当ては
まり,それを使うとものごとが正確に予測できることがわかったので,みんな
がそれをまねして使うようになったのである」と述べた.数学全部が自然科学
で使われるわけではないことを私も認め,さらに「みんながそれをまねした」
というちょっと踏み込んだ一言を付け加えた.
また,「物理学の理論の成功はほんとうに驚くべきことなのか(Is the Success
of Physical Theories Truly Surprising?)」という節でウィグナーは,ニュー
トンの重力の法則が百万分の一の精度で確かめられたこと,ヘリウム原子のエ
ネルギー準位についての量子力学による計算値が実測値と千万分の一の精度
で一致したこと,水素原子のエネルギー準位のわずかなシフトについての量子
電磁気学による計算値がラムとクッシュが実測した値と千分の一の精度で一致
したことなどの例を挙げたのち,「まだいくらでも例は挙げられるが,以上の
三つの例は,自然法則を,とりあつかいやすいということで選ばれた概念で数
学的に定式化することの,いかに適切であり正確であるかを説明していると思
われる.‘自然法則’ は厳格に限られた範囲内ではあるが,ほとんど考えられな
いような正確さをもっている.(The preceding three examples, which could
be multiplied almost indefinitely, should illustrate the appropriateness and
accuracy of the mathematical formulation of the laws of nature in terms
of concepts chosen for their manipulability, the “laws of nature” being of
almost fantastic accuracy but of strictly limited scope.)」と述べている.「物
理学の理論の成功はほんとうに驚くべきことなのか」という節の見出しに対す
る答えはあからさまには書かれていないが,ウィグナーは物理理論の成功に素
直に驚いているように見える.
たしかに,明瞭な数学的体裁の整った物理理論が自然現象を正確に予測する
10
という成功例は数多くあり,そういう正確な予測力が物理学の魅力であり有用
性の源でもあることは間違いないと私も思う.しかし待てよと私は言いたい.
数学的体裁は整っていたが現実の現象を予測・説明することに関して失敗した
物理理論もあるし,逆に,体裁は不細工であったが,なかなかの成功をおさめ
た物理理論もある.
数学的ではあったが失敗に終わった物理理論の例として,渦原子論 (vortex
theory of atom) という理論を挙げておこう.これは,エーテルという流体が
空間を満たしており,エーテルの渦が原子だと考える理論である11, 12).1867 年
にウィリアム・トムソン13)(1892 年に爵位を得てケルヴィン卿となる)がその
ような理論を提案して以来,19 世紀末まで渦原子論はかなり熱心に研究され
た.トムソンが最初に書いた論文にはたいした数式は書かれていないが,その
後の研究では微分方程式を用いて渦のモデルが論じられている14).当時は,渦
糸が結び目や絡み目になったものに対応して原子の種類や結合を説明できると
考えられていた.さらには原子が吸収・放出する光のスペクトルもこの理論で
説明できると考えられた15).この頃はエーテル理論の全盛期であり,電磁気・
重力・光・原子などすべての物理現象・物理的存在様式はエーテル一元論で説
明できると期待されていた.渦原子論はエーテル論の枝葉の一つであった.し
かし,エーテルの存在(観測可能性)が 1887 年のマイケルソン・モーリーの
実験で否定され,渦原子論の研究は次第に下火になった.流体中の渦が安定な
構造を保つことも説明し
がた
難く,1905 年には W. トムソンも渦原子の安定性の証
明をあきらめている14).
エーテル理論や渦原子論はそれなりに数学的体裁を
よそお
装 った理論であったが,
物理の理論としてはまったくの失敗であったと言えるだろう.ただ,物理と数学
は切り離して考えることができるので,物理としては失敗であっても,数学的
には正しい部分が残ることもある.例えば,エーテルの渦糸の結び目が原子で
あるなら結び目の分類は原子の分類と対応するはずだという考えに従って,テ
イトは結び目の分類表を初めて作成して 1885 年に発表したそうである(テイ
トの表には少し誤りもあったそうである)15, 16).テイトらの研究は結び目理論
(knot theory) と呼ばれる数学分野の契機になった.テイトが提起した数学上
の問題は,後にテイト予想と呼ばれ,その予想は 1991 年に解決した17).
渦原子論には興味深い派生理論もある.原子はエーテルの渦だと考えるだけ
でなく,原子はエーテルの湧き出し口または吸い込み口だと考える理論を 1880
年代にピアソンという数学者が提案した11).吸い込み口に流れ込んだエーテル
はどうやって湧き出し口に現れるのかとピアソンは考えて,エーテルは 3 次元
空間とは別の空間を通過して再び 3 次元空間に現れるのだろうという説まで考
えた.また,数学者クリフォードは,物質とエーテルの運動は空間の曲率変化で
あるという説を 1870 年に示唆していた11).このように,19 世紀後半には空間
の幾何学と物質とを対応させるアイデアや超空間のアイデアは珍しくなかった.
その他にも科学史を
ひも
紐解いてみれば,物理理論の失敗例を見つけることは難
しくない.むしろ成功例も失敗談も列挙する方が科学史として誠実であるし,
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教訓的だし,面白いと思う.「相対論・量子論の出現以前の物理学が未熟で失敗
もしたのは,当時の実験観測範囲が狭かったり数学的厳密性の要請が甘かった
からしかたのないことで,そんな昔の失敗を引っ張り出すのは時代錯誤だ」と
批判されるかもしれない.20 世紀以降の物理学にも失敗例は少なからずあるの
だが,失敗であることをきちんと立証するには大変な労力を要するし,おおっ
ぴらに失敗を指摘しても避けられるだけで,何の得にもならないから,おとな
しい物理学者は静観しているのである.
以上では「数学的体裁を装っていたが,現実の現象を予測・説明することに関
して失敗した(あるいは無用だった)物理理論」の例を挙げた.「体裁は不細工
であったが,なかなかの成功をおさめた物理理論」の方は,詳しく説明しない
が,少し例を挙げよう.本稿でも言及したが,ニュートンのオリジナルの力学
は,微分方程式の体をなしておらず,作図で質点の軌道を決定するという体裁
であり,汎用性に乏しかった18).ボーアやゾンマーフェルトの量子論(量子力
学が完成した後には「前期量子論」と呼ばれる)は,後から見れば量子力学の
近似理論であり,解析力学に量子条件という仮説を付け加えた,その場しのぎ
的な修正理論であったが,ゾンマーフェルトはこの理論をベースにして相対論
的補正まで入れたごてごてした計算を行い,水素原子のスペクトルをかなり正
確に求めていた19).その計算結果は後のディラック方程式と同じ答えだった20).
量子力学の定式化の一つであるハイゼンベルク・ボルン・ヨルダンの行列力学
は,行列の様式を守って計算していたら大変不便であったろうし,行列力学し
かなかったら状態ベクトルの確率解釈も出遅れていたであろう.シュレーディ
ンガーの波動力学とディラック,フォンノイマンなどによる抽象化を経て量子
力学は真に使いやすいものになったし,物理的意味も見通せるものになったし,
場の量子論への発展も可能になったと思われる.
話が長くなったが,数学的な物理理論の素晴らしい成功にウィグナーはいた
く感心し,これは奇跡ではなかろうかというところまで行っているが,それは
華々しい成功例だけに目を奪われすぎでしょうということを私は言いたかった
のである.現実には,大失敗もあったし,ほどほどの中途半端な成功もあった
し,当初の目的に関しては失敗したけど副産物を得たというケースもあるので
ある.
成功したものだけが多くの子孫を残すことこそ自然淘汰の特性であり,結果
的に目につくものは成功例ばかりになってしまい,奇跡が起こったかのように
見えてしまうのである.
8. 進化は必ずしも改善を意味しない
生物進化論の拡大解釈は危険だと言っておきながら,もう一つ,進化論にな
ぞらえて言っておきたいことがある.
ドーキンス7) は,生物学的自然淘汰の対象は遺伝子であり,個体ではないこ
とを強調した.各個体の生存にとって不利な特質でも,それが遺伝子のコピー
12
増殖に有利に働くならば,そのような特質が後の世代に引き継がれる.極端な
例としては,働きバチは,自分では子供を産まないし,巣を守るために戦って
命を落とすことも
いと
厭わないが,女王バチとその子の世話をすることにより,自
分と類似性の高い遺伝子コピーを効率よく生産している.自分を働きバチにし
てしまう遺伝子は,その個体の生存に有利に働いているとは思えないが,遺伝
子の増殖には有利なのである.
また,自然淘汰には善悪の価値判断や,目的論的な計画性がないので,うっ
かりすると,進化の方向が生物個体の生存にとって不利なだけでなく,遺伝子
の増殖にとってすら有利とは思えない方向に進むこともある.そのような例と
しては,クジャクのオスの羽がよく挙げられる.クジャクのオスの羽は大きく
てきらびやかだが,大きすぎて動くのに不便だし,敵にも見つかりやすいし,
大きくて美しい羽を形成して維持するにも栄養などのコストがかかる.解釈と
しては,そのような無駄に大きくて美しい羽を持っていられるオスは美しい羽
という代償を払えるくらいに有利な別の特性を備えていると見てよく,メスは
そのような優秀な生体を形作る遺伝子を持つオスと交配して,優秀な遺伝子を
子に引き継ぎたいのだろうと考えられる.いったんオスが「大きくて美しい羽
を作る」遺伝子を獲得し,メスが「大きくて美しい羽を持つオスとの交配を好
む」遺伝子を獲得してしまうと,これら 2 種の遺伝子がともに手を取り合って
淘汰を勝ち進んでしまい,クジャクがいまのような姿になった,と利己的遺伝
子説は説明する.しかし本当に子孫繁栄を目的とするなら,こんな無駄の多い
デザインをすることはなかったであろう.
この他にも,自然淘汰・進化は必ずしも個体にとっての改善をもたらさない
という例はあるだろう.とくに,遺伝子の突然変異と自然淘汰のプロセスは非
常に緩慢なので,環境が急変すると,以前は生存・増殖に有利だった特性が,環
境変化後には不利な特性になってしまうことはあり得る.もちろん,その逆に,
以前は生存・増殖にさして有利ではなかった特性が,環境変化後には


ぜん
然有利
に働くこともあり得る.
遺伝子には,先を見通す能力がないし,将来の計画を立てて準備する能力も
ない.我々人間は,未来を構想して,現在した方がよいことを検討し選ぶ能力
がある,と考えられている.ゆえに,人類の動向を生物進化になぞらえて考え
ることは当たっていないかもしれない.
しかし,学問分野のマクロな動向は,個々人の検討・選択によって動いてい
ると言うよりは,
あらが
抗 いがたい潮流のように見えることもある.だからこそ,物
理理論の失敗や放棄も起きるのだろう.すべての研究が計画通りによい方向に
進むものなら,そのような無駄なことは起きなかったはずである.
研究分野の将来がいかなるものか予測することは,個人の先見能力よりも高
次の能力を要するのかもしれない.我々は自分たちの遠い将来を見通せるほど
には賢明ではないことを知る謙虚さを持つべきだと思う.