「話者が一人の外国語」

発達障碍を「左利き」に例えるのを精神科医の立場では「これちょっと違うんだけどな」としたのも、そこなんです。 この世界が左利きばかりなら誰も困ることはないはずです。 しかし、ASD 者ばかりでも互いに通じ合わないのです。

この「私的言語」はその言語を使う本人にしか通用しません。 言い換えれば、「話者が一人の外国語」です。

ということは、定型発達者とだけでなく、同じ発達障碍者同士でも通じ合うことができないのです。 いうなれば、たった一人牢屋に閉じ込められ、中から叫べと誰も答えてくれない、そんな感覚でしょうか? だから、特有の「生きづらさ」を感じるのですね。