「逮捕後公開」を条件に籠池氏が明かしたこと ついに大阪地検特捜部が籠池前理事長を逮捕
2017年07月31日 野中 大樹 :週刊誌 記者 東洋経済
(編集部注)本記事は野中大樹氏を含む複数の記者が行ったロングインタビューをまとめたものです。東洋経済オンライン編集部が籠池泰典氏の発言の真実性を検証したわけではないことを冒頭で申し添えておきます。
2017年上半期、国民のお茶の間を賑わし国会を揺るがしてきたこの人が、ついに身柄を拘束された。東京都議選の投票日前日の7月1日には東京・秋葉原にあらわれ、演説をする安倍首相に向かって「100万円渡したら渡したって言え~」と叫んでいた、あの人である。
大阪地検特捜部は7月27日、詐欺と補助金適正化法違反の容疑で森友学園の籠池泰典前理事長を逮捕した。
詐欺については大阪府が5月、森友学園が経営する塚本幼稚園で教員数と障害のある園児数に応じて交付する補助金計6200万円を学園が不正に得た疑いがあるとして、詐欺容疑で告訴していた。
一方の補助金適正化法違反については、森友学園が校舎建設費について2015年12月3日付で金額の異なる3通の契約書を作成していたことが発覚。国土交通省に補助金を申請した際にはもっとも高い「23億8464万円」で提出し、約5644万円の補助金を不正に受給していた疑いがあがっていた。
■不可解な点が多く残されている
教育勅語を子どもに暗唱させるという特異な教育方針が注目を浴び、安倍首相や昭恵夫人との関係性から「国有地が不当に安く売却されたのではないか」と疑惑が持ち上がっていた森友学園問題は、籠池氏本人の逮捕という形で幕が引かれようとしている。
しかし森友学園問題には、いまだ不可解な点がいくつも残されている。公表が原則であるはずの国有地売却額が当初、非開示とされたのはなぜか。定期借地契約が特例として認められたのはどうしてか。鑑定価格9億5600万円の土地が1億3400万円に値引きされたのは正当だったのか。一時期までは吹いた「神風」はなぜ起こり、何がきっかけで逆風に変質したのか。
籠池氏に司直の手がのびようとしていた5月某日、大阪府内のホテルの一室で籠池氏は複数社の記者のインタビューに応じた。逮捕されてしまえば、ものは言えなくなる。逮捕される前に「言い残したこと」を語ってもらおうと著述家の菅野完氏がセッティングしたのだ。籠池氏の「最後の弁明」を聞く。
――籠池さんが逮捕されるという話が出ている。そうなる前に聞いておかなくてはならないことがいくつもあるので聞かせてほしい。まず、逮捕される覚悟はできているか。
なんで僕が逮捕されないかんのかなって思っているんですよ。
なんで(自分を)貶めるかというと、森友学園の問題の本筋にある国有地の値引き問題は、全部あいつが悪いんやという方向に世論をもっていこうとしているわけ。それってすごくまずいことやないですか。
3通の契約書について言うと、国土交通省に提出していた「23億8000万円」の契約書に、私自身はかかわっていないんです。あれは(設計会社の)キアラ建築研究所機関がやっていたことで、私は主体的にはかかわっていない。たしかに責任の一端はあるかもわからないけど、主犯じゃないことは確かなんです。
■2月の中旬に変更届を出すつもりでいた
――事前にキアラと話し合ったりはしていないのか。
打ち合わせ会議の時にいろんな報告は受けていたけど、ふうん、そうなんかと。言われたように印鑑を押しただけ。だって僕には専門知識がないし、わからないんやもん。キアラには国交省が指導していたと思うけど、僕にはその中身もわからなかった。
ただ、大阪府の私学審議会に提出していた「7億5600万円」は僕が主体的に出したものです。
――そこにはかかわっていた、と。
要は、学校をつくるという時、負債比率を総資産の30%以内に抑えなきゃいけないルールがあるから。寄付金が増えて(総資産が増えて)いけば建築費を高くすることができるという話だった。
――それは大阪府からサジェスション(提案)をうけながら?
もちろんそう。その範囲内で学校建築をやってもらわないかんなあと思っていたから、設計会社(キアラ)や施行業者(藤原工業)には7億5600万円以内でやってほしいと何度も伝えていたんです。ただ、(それでは足りなくなる可能性もあったので)僕は寄付金を増やす努力をせないかんなあと思っていたんです。
――寄付金を集め、総資産が増えた時には「7億5600万円」という数字の変更届を出すつもりでいたと?
もちろんそうです。ことし2月8日以降のドタバタがなければ、2月の中旬にも変更届を出すつもりでいましたよ。
――大阪府が告訴している内容についてうかがいます。実際に、塚本幼稚園ではすでに働いていない職員の名前も補助金申請書の中に出ていたようだが、ご認識は?
それはまあ・・・自分の悪かったところは悪かったと認めないかんと、そう思いますわ。それは、そういうこともあったということは認識しています。
ただ保育士の数でいうと、われわれが求めていた水準に達していない人を採用するわけにはいかなかったのです。
――人数をごまかしていたのではなく、教育者としてのレベルに達していないから採用できなかったと。
そういうことです。資格さえ持っていれば誰でもいいというわけではない。
――結果的にルールを逸脱していたというのは事実だと認める?
それは、おっしゃる通りです。でも一つだけ認識してほしいのは、われわれの学園はそこまでこだわりを持ってやっていたということです。
■「認可申請を取り下げたらチャラになる」
――籠池さんの宿願であった「瑞穂の國 記念小學院」の認可申請を、3月10日、急きょ取り下げた。裏ではどんなことが起きていたのか。
(当時の弁護士で、北浜法律事務所の)酒井康生弁護士が「取り下げないと藤原工業が潰れてしまう」と言ってきたんです。
――「施行業者が潰れる」ということが、認可申請を取り下げる理由になるのか。理屈がよくわからないが。
それプラスね、3通の契約書の問題とかその他の私にふりかかっている諸々の問題について、今(認可申請を)取り下げたら全部チャラになるという趣旨のことを言われたんです。なんとなく、ピンとくるでしょう?
――政治的な取り引きを持ちかけられたということか。
はい、弁護士が僕に。そういう話だった。
――酒井弁護士の背後には政府がいたということか。その酒井弁護士は3月16日に辞任したが、それまでは随所で籠池さんに助言している。
国有地問題の記事が最初に朝日新聞に出たあと、メディア対応の仕方については近畿財務局が「一社ずつ丁寧に応じて下さい」と指南してきた。僕ははじめメディア対応なんか「集団でしたらええのに」と思っていたんだけど「それではいけません。近畿財務局も一社ずつ丁寧にしていますから」ということだった。
――具体的に、指南していたのは近畿財務局の池田靖統括管理官か。
そう。
――その伝達は携帯電話に直接?
うん、直接。
――酒井弁護士を通じて「しばらく身を隠すように」と指示を出してきたのも近畿財務局だった?
そう。弁護士を通じて、そう指示をしてきた。
――2016年3月11日に敷地内から「新たなゴミ」が出て来たとされた。本当に出て来たのかどうかはともかく、4日後の3月15日に籠池さんは東京に飛び、田村嘉啓・財務省国有財産審理室長と会い、怒り心頭で「あのお方」が侮辱されていると詰めよった。安倍首相と昭恵夫人の存在を財務省の側にほのめかしたわけだが、そういうことがあって、酒井弁護士と近畿財務局、大阪航空局の間で土地値引きの交渉が始まったのだと考えざるをえない。こうした一連の流れをふりかえってみて、籠池さんは「神風」が吹き出したのはいつ頃からだと思うか。
2015年11月に昭恵夫人付の谷査恵子さんからFAXが届いたあたりから、怒涛のごとく吹き始めた・・・そういう印象です。
――同年の9月に昭恵さんが「名誉校長」に就任したことも「神風」に影響したと思うか。
そうそう、FAXの前段階としてそれがあるし、名誉校長になってくれる前から昭恵さんは学園には講演に何度も来られているから。そのことを近畿財務局の人間も知っているから、知っているがゆえに凪がそよ風になり、そよ風が強風になり、「神風」になっていったのでしょう。
――昭恵さんの存在が「神風」の発生装置と思っていいのか。
そりゃそうでしょ。昭恵さんに動いてもらうことで、ぐぐぐっと事が動いていく感覚があった。
――昭恵さんが控室で籠池さんに100万円を渡す時、「一人にさせてごめんね」と言ったと籠池さんは証言した。これが事実であれば、名誉校長になるかを逡巡しているような人の発言ではない。
象徴的な言葉でしょ。これまで私は前面には出てこれなかったけど、いろいろやってくれてありがとう、でもこれからは本当に自分も頑張ってやるからねっていう言葉なんですよ、あれ。実際、それからは2016年6月の土地売買契約まで話がぐんぐんと進展していった。「神風」の効果でしょう。
■「昭恵夫人には値引きの相談もした」
――民進党のヒアリングで、籠池さんは昭恵さんと何度もやりとりをしてきたと話していた。国有地取引についても経緯を報告していたのか。
もちろんしていました。
――値切っているけど安くならない、どうしたらいいかという相談もした?
しました。すると「どなたか間に入ってらっしゃる先生はいるんですか」とおっしゃった。家内が横から「はい、いてはります」と答えていました。
――その話はいつ頃か。
まだ初めの頃ですよ。定期借地の見積もり合わせの時期だったと思う(2015年初頭か)。ただ最初の頃は鴻池祥肇(参議院議員)先生も動いてくれていたから…。
――昭恵さんからしたら、さしでがましいことはできないと?
そういうことでしょう。
――しかし鴻池議員ではなかなか事が進展しなかった。
これ以上はちょっと、というところにさしかかっていた。そろそろ次の段階に入らないかんと、なんとなく思っていた時期ですね。
――そこに昭恵さんが「名誉校長」となり、すっとハマってきた。
そういうことになりますね。
――最後、逮捕される前に言っておきたいことは?
まずひとつはね、疑いを持って僕を見てほしくないと思っているんです。結果としてこういうことになってしまっているけど、気持ちとしては本当に純粋にやってきたんでね。今となっては国策捜査の対象になっているけど、そうじゃない時期もあったということです。
もしも政権側と手を握っておったら、ここまではこなかったのかなあという気持ちもある。
3月10日に認可申請を取り下げたところで、この話をすべて終わらせておけば国策捜査はなかったと思う。2年くらいしたら「籠池君よくやったな、助けてあげるよ」という話になったんだと思うんです。
■政権側からはシグナルがあった
――「政権と手を握っておったら」というのは、やっぱり100万円の話を出さなければ、という意味か。
その話を言わざるをえんようになってしまったということ。そこに至るまで、シグナルは2、3回あった。
――シグナルとは?
2月22日、自民党の大塚高司・国対副委員長(衆議院議員、大阪8区)が僕のところに来たとき。
――他のシグナルは?
それは・・・言わんとく。
――逮捕されなければ出さないと約束するので話してほしい。
(籠池氏はその後しばらく重く口をつぐんだ。約30分後、ようやく口を開いた)3月15日、昭恵夫人から電話がありました。
――どんなやりとりを?
「かなり我慢をしてやってきましたのに、なんでこないなったんですか」と私が申し上げると「すみません、すみません、主人の意向なので」と。
私は「もう、あのことも言わざるをえんようになりました」と申し上げました。昭恵夫人が「あのこととは?」とおっしゃるので、「100万円のことです」と返しました。
――その時の昭恵さんの反応は?
「ああ・・・」と。沈黙されてました。
――否定はしなかった?
ないですよ。
――覚えていないとは?
ないない、そんなん。
――他には?
昭恵夫人は「こういうことになるとは私は思わなかった、わからなかったんです」とおっしゃっていた。私は「わかりました、これが最後です、失礼します」と言って電話をきりました。
――その場にいたのは?
家内の携帯にかかってきたのを私がとって話をしましたので、隣には家内がいました。車の運転席には長男がいました。
(筆者注)籠池氏は3月16日、参議院予算委員会のメンバーが「瑞穂の國 記念小學院」を視察に訪れた際に、「安倍晋三首相からの寄付金100万円を昭恵夫人から頂戴した」という話をぶちまけた。3月23日の証人喚問でも籠池氏は100万円寄付の話をしたが、昭恵さんは同日フェイスブックでこれを否定した
■良い社会国家を作っていってほしい
100万円の話は急に出すと信義に反するでしょう。頂戴したものやからね。安倍首相が何かのときに「褒められる話だ」ということをおっしゃっていたけど、その通りですね。これはきちっと仁義をきっとかなあかんなあと思っていたから(電話がかかってきたのは)ちょうどよかった。
――100万円の話を明かしたことで結果的に政権と手を握る選択肢を取らなかったわけだが、その判断をどう受け止めているか。
僕は何も劇場型にしたかったわけではなく、国民の方々に真実を知っていただきたかっただけ。今、歴史的にうごめいているものがある。自分の目でしっかり事実を確認して、次の世代のために良い社会国家を作っていってほしいという、その一点だけです。