幻肢痛

切断した腕がナイフで刺されている、失ったはずの足がこむら返りしている――。存在しない“幻”の四肢が痛む「幻肢痛」と呼ばれる神経障害性疼痛に対し、患者負担の少ない治療の開発が進んできた。バーチャルリアリティーや磁気刺激を用いた治療法だ。これら非侵襲的な治療法が実用化されれば、薬物療法で十分な治療効果が得られない患者への新たな選択肢となりそうだ。
 幻の四肢が痛む幻肢痛は、四肢切断患者の80%以上に表れるとされている。さらに、脳卒中や脊髄損傷、末梢神経損傷の患者の中には、存在しない第3の腕や足が生えていると感じる「余剰幻肢」の痛みを訴える人もいる。
 「少なくとも国内に数万人の幻肢痛患者がいる」と東京大学医学部附属病院緩和ケア診療部部長兼麻酔科・痛みセンターの住谷昌彦氏は話す。痛みの種類や程度は患者によって千差万別だが、1日中寝たきりで仕事もままならない場合もあるという。近年は、糖尿病患者が末梢血管障害を引き起こして切断するケースが増えており、「幻肢痛患者も増加傾向にある」と住谷氏は見る。
 幻肢痛は、大きく2種類に分けられる。ナイフで刺されたり電気がビリビリ走ったりするような皮膚表在感覚の痛みと、ねじられたりこむら返りしたりするような深部感覚の痛みだ。
 四肢切断患者の幻肢痛を防ぐ策として、切断時に区域麻酔や硬膜外麻酔を併用する方法がある。神経に直接麻酔を使って切断時の痛みの入力を脊髄や脳に届かないようにすることで、幻肢痛予防できる可能性がある。切断後に痛みを感じ始めた場合は、できるだけ早期に適切な処置を行うことが望ましく、通常は、保険適用のある薬物療法や脊髄刺激療法が施される。
 しかし、必ずしも全ての患者に効くわけではなく「薬物療法は60%くらいの患者に効果が見られるが、鎮痛効果に満足する患者は20%に満たない」と住谷氏は指摘する。脊髄刺激療法は体内にデバイスを埋め込む必要があることから治療を希望する患者は多くない。

失った腕をVR空間で自在に動かし痛みをコントロール

 そのような現状下で、患者が手軽に行える非侵襲の治療法として期待されているのが、「VR(virtual reality)療法」だ。これは、幻肢をコントロールできるようになると痛みが軽減するという過去の研究データを基に考案された、健側を有する患者に適した治療法である。
 東京大学の住谷氏と東京大学大学院情報理工学系研究科知能機械情報学教授の國吉康夫氏、畿央大学神経リハビリテーション研究センター助教の大住倫弘氏、KIDS兼Mission Arm Japanの猪俣一則氏らが共同開発に挑んでおり、現在、臨床研究の段階にある。
 VR療法では、患者の健肢の動きを赤外線カメラで捉え、それを反転させてバーチャル空間上に両腕を再現する。現在は腕に表れる幻肢痛に対応したプログラムが開発されている。足に表れる幻肢痛治療への需要も多いが、赤外線カメラで足の動きを捉えることが難しいなどの理由から今のところ開発に至っていない。
 ヘッドマウントディスプレイを装着した患者は、幻肢を動かすイメージを抱かせるためのタスクをバーチャル空間上で行う。具体的には両手でボールをすくったり八の字を描いたりするような動作がタスクとなる(写真1)。
 VR療法では、実施後すぐに鎮痛効果が見られるのが特徴だ。しかし、徐々に痛みが再発するため、再発を抑えるためには数カ月程度の継続治療が必要と考えられている。治療を受けた患者のうち、「40~50%の患者が効果を実感している」と住谷氏は話す。
 幻肢痛に対するVR療法は海外でも開発が進められている。VR療法をさらに進め拡張現実(augmented reality)による研究の成果が2016年にLancet誌に公開されている(DOI: https://doi.org/10.1016/S0140-6736(16)31598-7)。その研究はユーチューブ上でも公開されている(動画)。 

VRでは「鏡よりもリアルに」

 VR療法の実用化に期待がかかる背景には、古くから行われ、既に臨床の場で一定の治療効果を示している「鏡療法」の存在がある。鏡療法は、鏡に映った健肢を幻肢に見せかけて、幻肢痛を治療するもの。幻肢が表れる部位にもう一方の健肢が映るように鏡を設置し、鏡に映った状態で健肢を動かし、あたかも幻肢が自在に動かせるように見せかける。これを繰り返すことで、頭の中で幻肢を動かせるような感覚を作り出させて、痛みを軽減する(写真2)。
 毎日15分ほど、鏡療法を行うと、2週間~6カ月で鎮痛効果が見え始めるという。住谷氏らは薬物療法と併用して鏡療法を指導しているが、「30~40%くらいの患者に『やって良かった』と言ってもらえる」と話す。VR療法を行う患者に対しても、自宅でできるケアとして鏡療法を勧めているという。VR療法や鏡療法は、幻肢痛の中でもねじられたりこむら返りしたりするような「深部感覚の痛みに効果があるような印象を受ける」と住谷氏は話す。
 VR療法では、VRならではの没入感で「鏡よりもリアルに自分の腕を感じられる」(住谷氏)ためか、鏡療法に比べて効果発現が早い。そのため、治療効果が期待できそうな患者をスクリーニングする目的で、まずVR療法を実施し、VR療法で痛み軽減を認めた患者には自宅で引き続き鏡療法を実施してもらうという使い分けも今後出てきそうだ。 
 他にも、異常な痛みを検知してしまう脳に直接介入する治療がある。脳に磁気刺激を与えて電流を発生させる反復経頭蓋磁気刺激療法(repetitive Transcranial Magnetic Stimulation:rTMS)だ。これは、頭皮の表面に置いた8の字型のコイルから強力な磁場を瞬間的に発生させることで、脳内に微弱な電流を流す方法。手術は必要なく、非侵襲な治療だ。
 鎮痛効果は治療後すぐに表れるが、徐々に薄れていくため1日1~3回の継続治療を行うことが望ましい。「4割程度の患者が鎮痛効果に満足する」と大阪大学大学院医学系研究科脳神経機能再生学講座で、日本疼痛学会理事も務める齋藤洋一氏は話す。
 現在、齋藤氏らはrTMSを家庭で行うための装置を帝人ファーマと共同開発中だ。医師主導治験は終了しており、医療機器の承認取得を目指す(図1)。
 難治で患者のQOLを大幅に下げる幻肢痛に対して、非侵襲的な治療の開発が進んでいる。これらの新技術の実用化が待たれるが、「指導することで幻肢痛の改善効果が期待できる」(住谷氏)鏡療法の認知度が高まることも同時に期待したい。