謂れのない圧力の中で ̶ ̶ ある教科書の選定について ̶ ̶ 和田孫博
本校では 、本年四月より 使 用 す る 中 学 校 の 歴 史 教 科 書 に 新 規 参 入 の「 学 び 舎 」 による『ともに学ぶ人間の歴史』を採択した。本校での教科書の採択は、検定 教科書の中から担当教科の教員たちが相談して候補を絞り、最終的には校長を 責任者と す る 採択委員会で決定するが、 今回の歴史教科書も同 じ 手続きを踏ん で採択を決めており、教育委員会には採択理由として「本校の教育に適してい る」と付記して 届けて いる。
ところが、昨年末にある会合で、自民党の 一 県会議員から「なぜあの教科書 を採用したのか」と詰問された。 こちらとしては寝耳に水の抗議でまともに取 り合わなかったのだが、年が明けて、本校出身の自民党衆議院議員 か ら 電 話 が かかり、「政府筋からの問い合わせな の だ が」と断った 上 で同様の質問を 投げか け てきた 。今 回 は 少 し 心 の 準 備 が で き て い た の で 、「 検 定 教 科 書 の 中 か ら 選 択 し ているのになぜ文句が出るのか分かりません。もし教科書に問題があるとすれ ば 文 科 省 に お 話 し 下 さ い 」と 答 え た 。「 確 か に そ う で す な 」で そ の 場 は 収 ま っ た 。
しかし、 二 月 の 中 頃 から、今度は匿名の葉書が次々と届きだした。そのほと んどが南京陥落後の難民区の市民が日本軍を歓迎したり 日本軍から医療や食料 を受けたり している写真葉書で、 当時の『朝日画報』や『支那事変画報』など から転用 し た 写 真 を 使 い 、「 プ ロ デ ュ ー ス ・ 水 間 政 憲 」と ある。それに「何処の 国の教科書か」とか「共産党の宣伝か」とか、ひどいのはOBを名乗って「こ んな母校には一切寄付しない」など の添え書きが ある。 こ の 写真葉 書が約五十 枚届いた。そ れが収まりかけたころ 、今度は差出人の住所氏名は書かれている ものの文面 が 全く同一の、おそらくある機関が印刷して(表書きの宛先まで印 刷してある)、賛同者に配布して送らせたと思える葉書が 全国各地から 届きだし た 。 文面を要約すると、
「学び舎」の歴史教科書は「反日極左」の教科書であり、将来の日本を担っ ていく若者を養成するエリ ー ト校がなぜ採択したのか? こんな教科書で学 んだ生徒が将来日本の指導層になるのを黙って見過ごせない。即刻採用を中 止せよ。
というものである。 こ の葉書 は未だに散発的に届いており、総数二百枚に も 上 2 る 。 届く度に同じ仮面をかぶった人たちが群れる姿が脳裏に浮かび、うすら寒 さ を 覚えた。
担当教員たち の 話 で は 、この教科書を編集したのは現役の教員やOBで、既 存の教科書が高校受験を意識して要約に走りすぎたり重要語句を強調して覚え やすくしたり しているの に対し、歴史の基本である読んで考えることに主眼を 置いた 教科書 、写真や絵画や地図など を見ることで疑問や親しみが持てる教科 書を作ろうと新規参入したとのことであった。これからの教育のキーワードと もなっている「アクティブ・ラーニング」は、学習者が主体的に問題を発見し、 思考し、他の学習者と協働してより深い学習に達することを目指すものである が、そういう意味ではこの教科書はまさにアクティブ・ラーニングに向いてい ると言えよう。逆に高校入試に向けた受験勉強には向いていないので、採択校 の ほとんどが、私立や国立の中高一貫校や大学附属の中学校であった。それも あって、先ほどの葉書のように「エリート校が採択」という 思い込みを持たれ たのか もしれない 。
三月十九日の産経新聞の一面で「慰安婦記述 三十校超採択 ̶ ̶ 「学び舎」 教科書 灘中など理由非公表」という見出しの記事が載った。 さすがに大新聞 の記事であるから、「 共産党の教科書 」と か「 反日極左 」というような表現は使 われていないが、この教科書が 申請当初は慰安婦の強制連行を強くにじませた 内容だったが検定で不合格となり 、 大幅に修正し再申請して合格した こ と が 紹 介され、本年度採用校として本校を含め七校が名指し になっていた 。 本校教頭 は電話取材に対し 、「検定を通っている教科書であり、貴社に 採 択 理由をお答え する筋合いはない」と 返 事 をした のだが、それを「理由非公表」と記事にされ たわけである。 尤も、 産経新聞がこのことを記事にしたのには、 思想的 な 背 景 以 外 に 別 の理由もありそう だ 。 フジサンケイグループの子会社の「育鵬社」 が 『新しい日本の歴史』 という教科書 を出している。新規参入の 「学び舎」の 教 科 書 が 予 想 以 上 に 多 く の 学 校 で 、し か も「 最 難 関 校 と 呼 ば れ る 」( 産 経 新 聞 の 表 現 )私学や国立大付属の中学校で採択されたことに、親会社として危機感を持 っ た のかもしれない。
しかし これが口火となって 、 月刊誌 『Will』の六月号に、近現代史研究 家を名乗る水間政憲氏(先ほどの南京陥落 写 真 葉 書 の プ ロ デ ュ ー サ ー )が 、「 エ リート校―麻布・慶應・灘が採用したトンデモ歴史教科書」という二十頁にも 及ぶ大論文を掲載した。 また、 水間政憲氏が CSテレビの「日本文化チャンネ ル桜」に登場し、同様の内容を講義した という情報も入ってきた 。 そこで、こ の水間政憲氏のサイトを 覗いて みた。 すると 「水間条項」というブログページ があって 、記事一覧リストに「緊急拡散希望《麻布・慶應・灘の 中学生が反日 極左の歴史教科書の餌食にされる;南京歴史戦ポストカード で対抗しましょう 》」 という項目があ り 、 そこを 開いてみると次のような呼びかけが 載っていた 。
私学の歴史教科書の採択は、少数の歴史担当者が「恣意的」に採択してい るのであり、 O B が「今後の寄付金に応じない」とか「いつから社会主義の 学校になったのか」などの抗議によって、後輩の健全な教育を護れるのであ り、一斉に声を挙げるべきなのです。
理事長や校長、そして「地歴公民科主任殿」宛に「 O B 」が抗議をすると 有効です。
そして 抗議の 文例として「 インターネットで知ったのですが、 O B として情 けなくなりました 」と か「 将来性ある若者に反日教育をする目的はなんですか。 共産党系教科書を採用しているかぎり、 O B として募金に一切応じないように します 」が挙げられ 、その後に採択校 の 学校名、学校住所、理事長名、校長名、 電話番号が列挙されている。本校の場合はご丁寧に「 講道館柔道を創立した柔 道の神様嘉納治五郎が、文武両道に長けたエリート養成のため創設した学校で すが、中韓に媚びることがエリート養成になるような学校に変質したようです。 嘉納治五郎が泣いていますね … … 」という文例が付記されている。あらためて 本校に送られてきた絵葉書の文面を見ると、 そのほとんどがこれらの文例その ままか少しアレンジしているだけであった。どうやらここが発信源 のようだ。
この水間氏はブログの中で「明るい日本を実現するプロジェクト」なるもの を展開 し ているが、今回のもそのプロジェクトの一環であるようだ。ブログ中 に「 1000 名(日本みつばち隊)の同志に呼び掛け一気呵成に、『 明るい日本 を実現するプロジェクト 』 を推進する 」とあり、いろいろな草の根運動を発案 し 、全 国 に い る 同 志 に 行 動 を 起 こ す よ う 呼 び か け て い る と 思 わ れ る 。ま た 氏 は 、 安倍政権の後ろ盾組織として最近よく話題に出てくる日本会議関係の研修など でしばしば講師を務めているし、東日本大震災の 折 には日本会議からの依頼を 受けて民主党批判をブログ上で拡散した こ と もあるようだが、日本会議の活動 は「草の根運動」が基本にあると言われており(菅野完著『日本会議の研究』 扶 桑 社 )、上 述 の「 日 本 みつばち 隊」もこの草の根運動員の一部なのかもしれな い 。
このように、検定教科書の選定に対する 謂 れ のない投書に関しては経緯がほ ぼ解明できたので、後は無視す るのが一番だと思っているが、事の発端になる 自民党の県会議員や衆議院議員からの問い合わせが気になる。現自民党政権が 日本会議を後ろ盾としているとすれば、そちらを通しての圧力と考えられる か ら だ。ちなみに、県の私学教育課や教育委員会義務教育課、さらには文科省の 知 り 合 い に 相 談 し た と こ ろ 、「 検 定 教 科 書 の 中 か ら 選 定 委 員 会 で 決 め ら れ て い る の ですから何の問題もありません」とのことであ っ た 。そうするとやはり、行 政ではなく政治的圧力だと感じざるを得ない。
そ んなこんな で 心 を煩わせていた頃、歴史家の保坂正康氏の『昭和史のかた ち 』( 岩 波 新 書 )を 読 ん だ 。そ の 第 二 章 は「 昭 和 史 と 正 方 形 ̶ ̶ 日本型ファシズ ム の原型 ̶ ̶ 」というタイトルで、要約すると次のようなことである。
ファシズムの権力構造はこの正方形の枠内に、国民をなんとしても閉じこ めてここから出さないように試みる。そして国家は四つの各辺に 、「情報の一 元 化 」「 教 育 の 国 家 主 義 化 」「 弾 圧 立 法 の 制 定 と 拡 大 解 釈 」「 官 民 挙 げ て の 暴 力 」 を置いて固めていく。そうすると国民は檻に入ったような状態になる。国家 は四辺をさらに小さくして、その正方形の面積 をより狭くしていこうと試み るのである。
保坂氏は、満州事変以降の帝国憲法下の 日本で は 、「 陸軍省新聞課による情報 の 一 元 化 と 報 道 統 制 」「 国 定 教 科 書 の フ ァ シ ズ ム 化 と 教 授 法 の 強 制 」「 治 安 維 持 法 の 制 定 と 特 高 警 察 に よ る 監 視 」「 血盟団や 五・一五事件など 」がその四辺に当 たるという。
では、現在に当てはめるとどうなるのだろうか。第一辺については、政府に よる新聞やテレビ放送への圧力 が 顕在的な問題となっている。第二辺について は 、 政治主導の教育改革が強引に進められている中 、今回のように学校教育に 対して有形無形の圧力がかかっている。第三辺については、安保法制に関する 憲法の拡大解釈が行われるとともに緊急事態法という治安維持法にも似た法律 が取り沙汰されている。第四辺に関しては流石に官民挙げてとまではいかない だろうが、ヘイトスピーチを振りかざす民間団体が幅を利かせている。そして 日本会議との関係が深い水間氏のブログからはこれらの団体との近さがにじみ 出ている 。 もちろん現憲法下において戦前のような軍国主義やファシズムが復 活するとは考えられないが、多様性を否定し一つの考え方しか許されないよ う な閉塞感の強い社会という意味での 「正方形」は間もなく完成する、いやひょ っとすると既に完成しているのかもしれない。