「老後の同居は幸せな時間を奪う」
家族と親密に暮らすのが幸せ--。この考え方を疑う余地のない人にとって、高齢者のひとり暮らしは、孤独で寂然とした老後に映るだろう。
体力が減退すれば、段差につまずいて転倒したりと、生活上のリスクは高まる。家族と同居すれば、リスクと孤独というストレスを避けられるかもしれない。
現実を見ると、高齢者のひとり暮らしは、決して少数派とはいえない。とくに男女の平均寿命の違いから、ひとり暮らしの女性高齢者の率は高い。65歳以上の高齢者で配偶者のいない女性の割合は55%。80歳以上になると女性の83%に配偶者がいない(下記『おひとりさまの老後』による)。
彼女たちはみな、家族から同居を避けられ、介護されない“かわいそうな”人たちなのだろうか。社会学者の上野千鶴子さんは明確に「ノー」と否定する。ベストセラーとなった『おひとりさまの老後』でこう綴っている。「高齢者のひとり暮らしを『おさみしいでしょうに』と言うのは、もうやめにしたほうがよい。とりわけ、本人がそのライフスタイルを選んでいる場合には、まったくよけいなお世話というものだ」。
高齢者の単身世帯率は年々増えている。これは「家族と一緒に暮らすのが幸せ」という予断を裏切るものだ。日本の高齢者に増えている「おひとりさま」の背後には、どのような事情があるのだろうか。
--上野先生は「80歳以上になると、女性の83%に配偶者がいない」と著書の『おひとりさまの老後』で指摘されています。男性より女性の平均寿命のほうが長いため、パートナーが亡くなった場合、必然的に女性のひとり暮らしが増えるのはわかります。ひとり暮らしが増えているということは、子世帯との同居を避けているということですね。高齢者が単身生活を選ぶ理由はなんでしょうか?
上野:NHKの番組で「おひとりさま現象」を取り上げた際、キャスターの国谷裕子さんが「どうしておひとりさまが増えるんでしょうね」とゲストの評論家・樋口恵子さんに問いました。樋口さんいわく「そりゃ、ラクだから」。
もっともな答えです。同居しないほうが親子双方にとってラクなんですよ。経済的に余裕があれば、別居を選択する人が増えています。
実際、厚生労働省のデータを見ると、1980年における子との同居率は69%でしたが、2000年には49%、2006年には45%に減っています。
「介護しないのはすまない」から同居
--双方にとってラクということは、それだけ家族との同居はストレスを生みやすいということでしょうか?
上野:当然でしょう。ストレスの原因は、ほとんどが人間関係から生じたものですから。同居していれば、家族からストレスが生まれます。
たしかに、高齢者施設で暮らす人には盆暮れも一時帰宅ができず、ふだんも訪問する人がいなくて寂しい思いをしている人がいますから、家族がいる人は幸せだと思いますよ。だけど、同居して家族介護が始まってしまったら、互いがストレス要因になります。親密だからいい関係が築けるわけではありません。介護に第三者が介入することは、家族が適切な距離をとる上でとても重要なんです。
いまの同居は、ほとんどが中途からのものです。というのは、長男であっても結婚と同時に親と別居し、世帯を分離するのが当たり前になったからです。
高齢者の「幸福度調査」によると、中途同居では幸福度が低い傾向があります。ちなみにいちばん低いのは、“たらいまわし同居”です。しかも子世帯が仕事のある場所を離れられないので、親たちが呼び寄せられての同居です。幸福度が低いのは、それまで住んでいた土地で築いてきた人間関係をすべて失うのみならず、子世帯の「家風」に合わせなければならないことになるからです。
--いったい、高齢者の一人暮らしと家族同居を分けるものは何なのでしょうか?
上野:身も蓋もない話ですが、高齢者の子世帯との同居率は、金持ちと貧乏人で低く、中程度の経済階層で高いことがわかっています。理由がそれぞれまったく違います。
低経済階層では、そもそも子世帯が自分の生活で手いっぱいで、親の面倒を見る余裕もないので別居しています。比べて、高経済階層だと、経済的に余裕があるので高齢者が自ら別居を選んでいます。
--一方で「中経済階層」は、家族との同居率が高いようですね。中経済階層が子世代と同居をする理由を、どうご覧になりますか?
上野:介護施設もピンからキリまで。施設に入れるにはしのびないが、二世帯を維持するだけのゆとりもない、という中程度の経済階層に同居率が高くなっています。それだけでなく、「老いた親を放っておくなんて」といった社会規範を、子のほうが意識しているからでしょう。親の介護を引き受ける理由として、「やればできるのに、そうしないのはすまない」という“自責の念”もありますから。積極的に喜んで介護を行う人は少ないでしょう。とくに嫁の立場にある人にとってはね。
だいたい、日本の法律には「家族には法的な介護責任がある」という規定はありません。あるのは生活扶助義務ですが、これは経済的な扶養義務に限られます。カネを出すことを強制できても、手を出さない人に強制する法律はありません。高齢者虐待防止法では、同居家族には「養護者責任」が発生しますが、別居していれば別です。
選べない介護は「強制労働」
--かつては「(義理の)親の介護は嫁の務め」と言われていました。現在、同居した家族で実際に介護を担っているのは誰なのでしょうか?
上野:同居家族で介護が行われているとき、「誰が誰の世話をしているか」の組み合わせは多様です。
家族介護の研究をされている笹谷春美さんが、北海道で家族介護の実情を調査したところ、「娘から母」に対する介護が22.2%。「妻から夫」が19.7%、「嫁から義母」が17.8%。「夫から妻」が17.8%という結果が出ました。
決して「嫁から義母(姑)」ばかりが多いわけではありません。それに同居親族ばかりが介護しているわけではありません。娘の介護の場合には、別居介護が少なくありません。驚くのは、男性介護者の増加です。データによると、06年で24%、08年には28%とほとんど3割に達しています。つまり家族介護者の約3人に1人が男性で、その圧倒的多数が夫です。「介護は女の仕事」という常識は、覆りつつあります。
--では、家族間の介護の組み合わせで、最もストレスの高い関係はどれでしょうか?
上野:「嫁から義母」の介護です。「やってあたりまえ」で評価も感謝もされず、遺産の相続権もない。ストレスが最大です。その結果、介護虐待も起きていますから、介護する方にとっても、介護される方にとって最も不幸な選択肢と言えます。だから最近では、「介護される方」の選好も、嫁から娘や息子へとシフトしてきました。
笹谷さんの調査によると、家族が介護者を引き受けた理由を上位3つ挙げてもらったところ、いちばん高いのは、「自分しか介護者がいない」だったそうです。選択肢のない介護を、私たちの業界では、「強制労働」といいます。
--「強制労働」ですか……。
上野:私は口の悪い人間で知られていますが、いくらなんでもこれは私が言ったのではなく、メアリー・デイリーというヨーロッパの研究者の「選べない介護は強制労働だ」という発言によります。
介護を引き受けるにあたって作用するのが“ジェンダー規範”と“親族規範”です。ジェンダー規範とは、「嫁の務めだから」や「長女だから」というように、男より女の優先順位が、ありがたくないことに、高くなってしまうことです。
親族規範とは、「長男だから親の面倒を見るのがあたりまえ」と長男を優先するものです。ただし、生前は長男を優先しながら、親の死後の遺産相続では、兄弟姉妹が均分相続を主張するという、長男以外の者にはご都合主義的に使われる規範だということも明らかになっています。
「妻にならワガママを言える」
--戦前の旧戸籍法では「家単位」で戸籍が作られ、婚姻すれば、嫁いだ家の戸籍に記載されました。「○○の娘」という扱いです。戦後の新戸籍法では婚姻によって、各人が親の戸籍を抜けて、「夫婦単位」の戸籍を新たに設けることになりました。嫁から義母の介護が減ったということは、逆にこれまで妻は、夫の親という“他人”に対価なき介護を行うよう強いられてきたわけですね。
上野:地域差と世代差はあっても、この10年で家族介護の優先順位は完全に替わりました。要介護者が自分の介護者として期待する順位は、「配偶者>娘>息子>嫁」の順になりました。
では、配偶者、つまり夫婦間の介護は幸せなのかといえば、そうともいえません。妻が夫を介護している場合、ともに高齢者である“老老介護”が多い。しかも夫のほうは、妻以外の他人の介入を非常に嫌がります。
したがって夫が重度の要介護になっても妻は外部の介護資源を利用せず、自宅に抱え込むケースが多い。夫は妻への依存性が高く、24時間侍ることを要求します。妻は外出もままならず、社会的に孤立しやすい。地域に介護資源があるのに、それを利用しにくい状況にあります。
--より質のいいサービスを受けられる可能性があっても、夫はそれを利用することを嫌がるのですか?
上野:はい。なぜなら妻にならいちばんワガママを言えるからです。介護が必要になってから、そういう態度になったわけではなく、もとからそういう関係なのでしょう。
そもそも家族は介護に関して素人で、プロの介護のほうが質は高いはず。それにもかかわらず、高齢の夫は他人が入ることに抵抗を示し、妻に依存する傾向があります。依存性が高いからといって、夫婦関係が良好とは限らないというのが、この世代の特徴ですね。
介護される側がボランティアに
--逆に、夫が妻に介護をする場合、特徴的な傾向はありますか?
上野:この場合は往々にして「いい旦那さんをお持ちで羨ましいわ」といった美談になります。しかし、夫が妻にする介護の中身をよく見ると体調管理にはじまり生活管理、投薬管理と、こと細かく行い、まるで仕事の延長のような管理介護が特徴です。
一言でいうと「介護者主導型の介護」です。介護のやり方やスタイル、スケジュールをみんな介護者が決めてしまうため、妻は自分が受けている介護に否とは言えなくなる。
「奥さんはお幸せね」と周囲は言うけれど、本当に幸せなのでしょうか。「よい介護」とは、基本的に「自分が受けたい介護」です。介護の内容について文句や注文をできないとしたら、妻は「介護されてあげるボランティア」をしていることになります。
ただ、夫が妻を看る場合のメリットもないわけではありません。まわりが放っておかないことです。「旦那さんが介護をされているのなら大変」とケアマネージャーや第三者が積極的に介入するので、社会的資源を利用しやすい。夫婦間の介護には、こうしたジェンダーの非対称性があります。
--「介護は女の仕事」といったジェンダー規範が変化しつつある中で、「息子から親」の介護のケースが「嫁から義親」より順位が高くなっています。この背景には、何があるのでしょうか?
上野:息子が老親を介護するケースが徐々に増えています。息子がもともとシングルであったか離婚したか。またはリストラされ経済的に苦しくなったことで同居率が高まっています。ところが、この息子たちが親を虐待する加害者のトップを占めているのです。
深刻なパラサイトとネグレクト
--虐待とは、どんな中身のものですか?
上野:「経済的虐待」「身体的虐待」「心理的虐待」の3種類あり、いちばん多いのは経済的虐待です。
これは親の年金に依存した「年金パラサイト」を指し、親が介護保険や医療保険を使うのを嫌がります。寝たきり状態になってケアマネージャーや民生委員が介入しようとしても、「うちは必要ない」と拒絶するケースが多いのです。
ケアマネージャーや民生委員が口を揃えて言うのは、「もしおばあちゃんがひとりでいたら、年金も介護保険もあるから、いくらでも介入できる。息子が同居しているばっかりに、手も足も出せない」と。
身体的虐待については、殴る蹴るの暴行よりも“ネグレクト”、つまり介護放棄が多い。床擦れがひどくなっても放置し、食べ物も与えないケースです。
--息子に独自の経済基盤がないからパラサイトし、現実と直面したくないからネグレクトが起こっているわけですか?
上野:そうです。これが各地で処遇困難事例として問題になっています。家族の意思決定権がいちばん大きいため、第三者が介入しにくいのです。高齢者にとって、パラサイトの息子の存在が人生最大のリスク要因とストレス源になる可能性が高まっています。
--経済不況が続くと、そのリスクは増加するいっぽうになりますね。
上野:はい。しかも親が息子に対し、強い責任感を覚えているため、被害者意識が希薄なのです。「親として子どもを守らなければ」とか「こんな息子に育てた自分が悪い」といった一心同体意識が親側に強いからです。
--親の介護をしたほうが年金で暮らす期間も伸びるはずです。それでも息子が介護放棄するのは、介護スキルがなく、面倒だという考えに基づいているのでしょうか?
上野:いいえ、もっと深刻な理由です。背景には息子の社会的孤立があります。息子が自分のぶんだけ弁当をコンビニエンスストアで買ってきて、親と襖一枚隔てた部屋で食べるなど、気持ちも身体も親に向かわない事例もあります。鬱や自殺念虜を抱えた人もいるといいますから、自分のことで手いっぱいなのでしょう。
--話をうかがっていますと、高齢になったら、ひとりで暮らすほうがリスクは少ないように思えてきました。
上野:シングルのあなただって親のリスク要因になるかもしれませんよ。生活能力も介護能力も経済能力もない男性が社会的に孤立してしまう。これが現在の中高年の息子世代が抱えた最大の問題です。