小澤俊夫 小沢健二

オザケン父が「岸の末裔が首相では日本に未来はない」

「共謀罪」法案が、ついに衆院法務委員会で実質審議入りした。政府はテロ対策のための「テロ等準備罪」などと嘯いているが、その実態は権力による恣意的な逮捕を可能にする「平成の治安維持法」であることは自明で、公権力による監視社会化をよりいっそう加速させるものだ。当然ながら、この法案には反対の声が相次いでいるが、そんななか、ある人物の発言が話題を呼んでいる。

 その人物とは、ドイツ文学者の小澤俊夫氏。指揮者・小澤征爾の兄であり、ミュージシャン・小沢健二の父である。

 俊夫氏は、今月3日付「日刊ゲンダイDIGITAL」のインタビューのなかで、治安維持法が存在した戦前のことを思い返しながら、「共謀罪の対象になるのは犯罪を企む集団であって、一般人は関係ないというが、普通の団体も質が変われば、対象になると言っているわけでしょう? その判断を下すのは警察でしょう? 正しいことでも警察がダメだと言えば、アウトになる。これが戦前の治安維持法の怖さだったんだけど、同じ懸念があります」と発言。権力による恣意的な解釈で、言論の自由などが著しく制限される可能性を危惧した。

 俊夫氏による政権批判はこれだけにとどまらない。俊夫氏は1930年に旧満州で生まれているが、父である小澤開作は宣撫工作に従事するため満州に渡るも、後には「華北評論」という雑誌を創刊させ、戦争に対して反対の意見を表明するようになっていった人物だった。「1940年、皇紀2600年で日本中が浮かれているときに、「この戦争は勝てない」とハッキリ言い」「軍部批判を強烈にやる」開作のもとには、思想憲兵や特高が毎日のように家に来ていたという。

 さらに、俊夫氏はそんな父からこんなことを言われたことがあるとインタビューのなかで語る。

「親父は「日本から満州に来た官僚の中で一番悪いのは岸信介だ」と言っていました。「地上げをし、現地人は苦しめ、賄賂を取って私財を増やした」と。だから、岸が自民党総裁になったときに「こんなヤツを総裁にするなんて、日本の未来はない」とハッキリ言った。その岸の末裔が首相になって、日本は本当に未来がなくなっちゃったね」

オザケン祖父の「一番悪いのは岸信介だ」の意味

 岸信介が満州の官僚へ転出したのは1936年のこと。彼が自らの「作品」と呼んだこの傀儡国家で民衆が傷つき苦しんだ一方、岸は“3つの財産”を手に入れる。統制経済による国家経営のノウハウ、東条英機(当時、関東憲兵隊司令官)を筆頭とする関東軍人脈、そして湯水のごとく使える金脈だ。そして東条英機を首相にまで押し上げたのは岸の資金力だと、多くの研究者が指摘している。その資金源とされるのが、アヘン取引による利益だ。

 戦後、国際検察局(IPS)に逮捕された、中国の「アヘン王」こと里見甫の尋問調査によれば、アヘンは満州国で生産され、北京と上海を中心に消費されていったが、その流れを管轄していたのが日本であったという。当時の満州国は表向きはアヘン吸飲を禁じていたが、満州専売局を通して登録者に販売できるシステムを採っていた。事実上、野放しだ。にもかかわらず一方で売買が禁止されているため、価格は吊り上げ放題で、巨額の利益が上がる仕組みになっていた。

 こうしたシステムを動かしていたのが、岸ら満州官僚であり、ここから吸い上げられたカネが対米主戦派の東条英機を首相に就任させる原動力になっていたという構図である。岸らは莫大なアヘンマネーを、国家経営や戦争遂行、謀略工作に回す一方、一部を私的に着服していったという。

 岸はこういったアヘン政策について否定しているが、前述した「アヘン王」里美の墓碑銘を揮毫したのはほかでもない岸であり、これは里美と岸が浅からぬ関係であったことを端的に示している。
 
 当時満州にいた開作はこうした事実を指して、俊夫氏に「日本から満州に来た官僚の中で一番悪いのは岸信介だ」と語ったのだろう。そして現在、その孫が政権トップに就き、祖父そして日本の戦争責任を省みるどころか歴史修正に励み、祖父の悲願であった改憲に妄執している。
 
 俊夫氏は自身の専門であるドイツと比較しながら、安倍首相の歴史修正主義についてもこう批判する。

「彼は過去の罪と向き合っていない。きちんと過去を見つめ、謝罪する勇気がない。それで未来思考などと言ったところで誰が信じますか。積極的平和主義とは過去を反省し、その姿勢をしっかり、中国、韓国に示すことですよ。ドイツは強制収容所を堂々と残している、世界に自分たちが犯した罪はこれだと宣言している。強いよねえ。(略)世界の中での日本が見えていないという意味で、安倍首相はレベルが低すぎると思います」

小沢健二が指摘する「デモが起こらない」ことの恐ろしさ

 共謀罪と、安倍首相の本質をつく俊夫氏。その言葉をもっとさまざまなメディアが取り上げてほしいと思わざるをえないが、それは俊夫氏の息子である小沢健二についても同様だ。彼もまた、俊夫氏と同じく世界と歴史を俯瞰した視線から、社会の問題点を鋭く批評してきた。

 たとえば、昨年秋に、ツアーグッズとして出版した『魔法的』(発行/ドアノック・ミュージック魔法的物販部)には、俊夫氏の主宰する雑誌「子どもと昔話」に連載された文章が収録されているが、そこにはグローバリズムやレイシズム、国家主義に対する鋭い批評が数多く書かれている。

 また、オザケンの社会批評で秀逸だったのは、2012年、彼の公式サイト「ひふみよ」に掲載されたエッセイ「金曜の東京」だ。デモが日常的な風景としてある海外の都市と東京とを比較して、こんなことが書かれていた。

〈むしろ訪れて怖いのは、デモが起こらない街です。いわゆる独裁者が恐怖政治を敷いている街では、デモは起こりません。そのかわり、変な目くばせが飛び交います。
(中略)
 デモが起こる都市より、デモが起こらない都市の方が怖いです〉

〈東京も割とデモが起こらない都市で、デモの起こるニューヨークやメキシコシティーから帰ると、正直言って不思議というか、中東の王国を訪れた時のような、ちょっとした緊張感がありました。
 抗議するべき問題がないからデモがないのか。それともどこかの王国のように、心理的に、システマティックに抑えこまれているのか。何か他の理由があるのか〉

 さらに、オザケンが鮮やかだったのは、権力側やネトウヨ、中立厨などがこうしたデモや反対運動に対してよく使う「対案を出せ!」という言葉の本質を暴いて見せたことだ。オザケンは、この言葉を、人間管理や心理誘導のための単なる説得テクニックにすぎないと言い切ったのだ。

〈イギリスは人間管理とか心理誘導の技術にとても長けていて、サッチャー首相の頃、八〇年代にはTINAと呼ばれる説得論法がありました。”There Is No Alternative”の略。訳すと「他に方法はない」ということ。「他に方法はあるか? 対案を出してみろ! 出せないだろう? ならば俺の方法に従え!」という論法の説得術〉

 ”There Is No Alternative”は安倍首相の「この道しかない」にも通じる論法だが、オザケンはこのレトリックのおかしさをこんなふうに暴いてみせるのだ。

〈医者に通っていてなかなか治らないとします。患者は文句を言います。「まだ痛いんですよ! それどころか、痛みがひどくなってます! 他の治療法はないんでしょうか?」と。
 それに対して医者が「他の治療法? どんな治療法があるか、案を出してみろ! 出せないだろう? なら黙って俺の治療法に従え!」と言ったら、どう思いますか?〉

「対案を出せ!」という論法への鋭すぎる反論

 そう、治療法を考えるのはあくまで医者の仕事であって、治らなければ医者を変えたり、別の治療法を試すのは当然のこと。患者は「痛い!」とただ切実に訴えればいい。その訴えを真摯に受け止めることで「医学の進歩」はが生まれる。そして、これは社会問題に対峙するときも同じだとオザケンは続ける。

〈同じように、社会をどうするか考えるのが職業の人は、人の「痛い!」という切実な声を聞いて、心を奮い立たせて問題に取り組むのが正しいはずです。
 なのに一般の人が「この世の中はヒドイ! 痛い!」と声を上げると、「じゃあお前ら、対案は何だ? 言ってみろ! 対案も無しに反対するのはダメだ!」と押さえつける政治家とか専門家とか評論家とかがいるのは、むちゃくちゃな話です〉

 一般市民がすべきことの一つは、「この世の中はヒドい! 痛い!」と声を上げること。対案を出す必要などない。「対案を出せ」と主張する者たちは、自分こそ頭がよくて社会のことがわかっているとでも思い込んでいるようだが、それは実のところ為政者の都合のいいレトリックにだまされているに過ぎない。それを見抜き言い当てていた小沢健二の知性はさすがとしか言いようがない。
 
 同時代に同じ満州にいた、岸信介と小澤開作。それぞれの孫の知性のあまりの差にため息しか出ないが、しかし、やはり惜しいと思うのは、父・俊夫氏と同様、その言葉がメジャーなメディアに一切出てこないことだ。

 オザケンのコマーシャリズムに対する拒否姿勢はわからなくもないが、しかし、こんな時代だからこそ、大衆的なメディアに積極的に露出し、その本質を射抜く言葉を拡散させていくことも必要なのではないか。次はオザケンが「共謀罪」について語ってほしい。今年はフジロック出演も予定されるなど、これまでよりはメディア露出もあるだけに期待したい。