2017年04月06日 読売新聞社説

2017年04月06日 読売新聞社説

 教育勅語は、大日本帝国憲法と不可分の存在だった。その事実を忘れてはならない。

 政府は「教育勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切だ」とする答弁書を閣議決定した。民進党議員の質問主意書に答えた。政府がこれまでに表明していた見解に沿っている。

 答弁書は、教育勅語を「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」とも言及した。

 実際、高校の日本史や公民の教科書には、教育勅語の全文や抜粋を掲載しているものもある。日本の大きな転換期だった明治から昭和期にかけての歴史を学ぶ教材として、教育勅語を用いることは、何ら問題がないだろう。

 ただし、道徳などで教育勅語を規範とするような指導をすることは、厳に慎まねばならない。

 明治天皇が1890年に、君主に奉仕する「臣民」への教えとして示したのが教育勅語だ。

 「皇祖皇宗」以来、連綿と続いてきた「国体の精華」の維持を教育の根源とした。危急の大事には、皇室・国家のために尽くすことを、天皇が国民に求めている。

 天皇中心の国家観が、国民主権や基本的人権を保障した現憲法と相容あいいれないのは明らかだ。道徳の教材に用いれば、学校での特定の政治教育を禁止した教育基本法にも抵触する可能性がある。

 戦後、国の教育指針は、現憲法の精神を踏まえた教育基本法に取って代わられた。1948年には衆参両院が、教育勅語の指導原理を排斥し、失効させる決議を採択した。教育勅語は、法的効力を失った史料に過ぎない。

 国有地売却問題で揺れる森友学園は、運営する幼稚園で園児に教育勅語を暗唱させていた。

 これに関連して、稲田防衛相は国会答弁で、「道義国家を目指すという教育勅語の精神は取り戻すべきだ」と述べている。

 確かに、親孝行や夫婦愛など、現在にも通じる徳目を説いている面はある。しかし、教育勅語を引用しなくても、これらの大切さを教えることは十分に可能だ。

 菅官房長官が「政府として積極的に教育現場で活用する考えはない」と強調したのは当然だ。

 過去には、建国記念の日に校長が教育勅語の朗読をしていた島根県の私立高校に対して、県が改善を勧告した事例もある。

 教育現場で憲法や教育基本法の趣旨に反する行き過ぎた指導があれば、是正する必要がある。